人生、苦労するのは若者だけではない。結婚すれば、安泰なわけではない。四十になっても五十になっても六十になっても…、もう自分はいい大人だと思っても、今までと違う仕事や人生が訪れるかもしれないし、選択するかもしれない。
そうしたら、わかった気でいた人生というものが、実はわかっていなかったと、こんな人生もあったのかと、気づくのかもしれない。
私は他の人にはなれないし、他の人は私にはなれない。他人の人生を羨ましがっても、それはちょっと違う。
過去の自分があって、今の自分がいる。だから、過去の自分を否定したら、今までやっとの思いで歩んできた自分の人生も、否定する事になる。可愛い我が子の存在までも…。
だから、私はとりあえず、過去をやり直したい、とか無駄な抵抗はしない。いま、目の前の事で精一杯だからかもしれないけど…。これからの事はみんな初めての経験。みんな、初めてその年齢をやっているのだから。
どこかで読んだ事があります。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉。
どんなに幸せそうな人でも、悩みの無い人間はいないでしょう。思い通りなんて世の中、ならないから。私は悩みしか、ないですがーー。
いま、居場所があるならば、そこがあなたの居場所ですよ、と言うことでしょうか。
「置かれた場所で咲けない」人はどうしたらいいですか?
私は、旦那とも、旦那が跡をとらなきゃいけない家とも、旦那の家族親戚とも、やっていけない。どうしても普通じゃないから。無理があるから。
どうして、間違っちゃったんだろうな…。あの時、私は確かに幸せになれると思ったのに。
息子が0歳の時に入った職場で、「(人生)こんな筈じゃ無かったんだけどな…。」と言っている先輩主婦の人がいました。するとさらに年上の(お孫さんのいる)先輩主婦の人が、「みんな、こんな筈じゃ無かったって思ってるんだよ」って答えていました(!)
その時の私は「そんな風に思ってるんだ…」としか思わなかったけど、今なら痛いほどわかる、私。
↓こわくて読めていませんが…